京快道@ 2019年5月31日@ キマグレノ夏です。雨に祟られることもありませんでした。 中之島を歩いているときはムッとしていましたが、川崎橋を渡るころには涼しげでした。 帰宅後にはらりと雨が降ってきたようです。 10.2q / 2時間40分 地上に出ました。いつも歩いている堂島川沿いの遊歩道です。 「大江橋」南交差点。わが娘が働いている会社のビルをいまだ特定することができていません。地下鉄「淀屋橋」から直接つながっているので、雨が降っても傘要らずとのことなり。 市役所南。ケヤキのプロムナードと勝手に呼んできましたが、私の見間違えでなければ、「みおつくしプロムナード」という名がついているようです。 安藤忠雄作の噴水が活動し始めました。定刻は00、30じゃなかったのかな? 天満橋を渡っているとき、「はちけんや」にアクアライナーが入港してきました。 しょっちゅう渡っている寝屋川橋なり。京阪電車が地下から出て来るあたりです。日経新聞社&テレビ大阪のあるところです。 青湾:おいしい水を供給したところ。江戸時代には、ここの水を売り歩いたそうです。元手要らずでよかったですね。 春風橋を渡ると毛馬村だったようです。命名がよろしいようです。 春風橋の一番高いところから、城北運河の出入り口がよく見えます。わたしの参加するウーキング協会がしばしば利用する道が、この運河沿いにあります。 毛馬閘門です。水位の違う淀川と大川を船が行き来するためのものです。パナマ運河と同じ仕組みになっています。近頃、写真のように金網が張られて、立入禁止となりました。以前には人が集まる釣り場でした。 春風や 堤長うして 家遠し 毛馬を出た蕪村は再び故郷に帰ることはありませんでした。「春風馬堤曲」の中にある一句なり。 淀川左岸の河川敷を歩きます。右上に見えるのは大阪市立桜宮高等学校の建物です。 赤川鉄橋を丁度電車が走ってきたので、振り向いて撮りました。赤川鉄橋改め、おおさか東線の鉄橋です。 千人つか(塚) 太平洋戦争末期、昭和20年5月7日の大阪大空襲の際に、身元の分からない遺体が集められ、荼毘に付されたところです。放置され、忘れ去られていくのを良しとせず、平和を祈念して東浦栄次郎氏が庭石に千人つかと刻して置いたものです。 |
今日出会った花たち 2019年5月31日A 中之島バラ園&城北菖蒲園 |